gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

依存症


子どもが二歳の頃、このルームメイトがアルコール依存症でドラックも常用していることを確信した。なんでもっと早く気づかなかった、どうしてその時に離婚しなかった、と言われればそれまで。 人は一人ぼっちだと、自分が間違っているのだと思い込んだり、まだ我慢できると勘違いしてしまうものなのだ。わたしはわたしなりにできることをやるしかなかった。


ルームメイトは営業マンとして働いていたが、一家の主人になれない子供で、安い家賃と光熱費を払い、あとは全て好きなことに使っていた。営業成績が良い時の給料はどこへいったのか。いつも彼の口座残高はゼロに近い。


年末になると決まって未払いの酒気帯び運転違反通知を、彼のベットの枕元にある引き出しから見つけた。支払いは滞り、最後にはいつも通知に記載された倍の額を支払う羽目になる。


幸いにもわたしに少ないながら稼ぎがあったので、子どもや生活にかかる全てを補ってなんとかしていた。誰も頼れる人などおらず、今、目の前にあることをこなしていく日々だった。


背中を後押しされたのは、子供が託児所でレモンの味や塩の味など実際に触って口に入れて、触覚や味を覚える学習をしていた時期だった。この頃ルームメイトのいたずらはだいぶエスカレートしていて、コカインを毎週水曜日と金曜日に、わたしが寝室に入ったあとリビングで楽しんでいた。


土曜のある朝。子どもはお休み、わたしも休日。キッチンで皿洗いか何かをしていた時、子どもがリビングでチャコールグレーのソファーの横にあるCDラックの上にあった、細く筒状に丸まった五ユーロと砂糖のような白い粉の残りを触っていたのか触ろうとしたのか、というところだった。わたしは慌てて子どもの方へいき、抱きかかえて洗面所で子どもの手を綺麗に洗った。


この時にやっと、これは普通の生活じゃないと我に返った。わたしはこういう家族生活を望んでいない。世界には、不幸にも幼い頃から周りの大人たちのせいでドラックのある環境で生きている子ども達もいるが、わたしの身の周りにはあってはならないことだ。


この頃のわたしは、毎晩、彼が眠りについた夜中過ぎにこっそり起きてはリビングへ行き、酒類のボトルをチェックしてソファーの下を覗き込んでいた。その理由はソファーと床のほんのわずかな隙間に隠した洋楽のCDケースと丸まった五ユーロ札を見つけ出すためだった。


捜し当てたときは怒りと安堵の気持ちで、そしてこのソファーを買いに行った頃の事を思い出したりした。洋楽のCDケースと丸まった五ユーロ札が見つからない時は、狭いリビングの中を何十分も探した。大きな不安を抱えたまま疲れ果ててベットに戻り、残り二時間は眠れるかもしれない睡眠をとった。


決して安くない酒類のボトルは、見つければいつもキッチンの流しに捨てていたので、彼の方も毎回隠し場所を変える。だから、探すのも一苦労だった。夜中の二時三時に、リビングの明かりを煌々とつけて探しまくる一人ぼっちのわたしは、馬鹿げたアジア人だ。

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