不整脈
ある冬の土曜日の午後。私たちは明日予定している子どもの誕生会準備の買い出しに行こう、と話していた。ルームメイトは、リビングを行ったり来たりと落ち着きがない。
すると突然、
「調子が悪い、どこがおかしいのか分からないけど、おかしい。」
と言って、ゆっくりとダイニングの椅子に腰をかけた。一体どうしたというのか。
「病院につれていってくれ。」
という。
「冗談じゃない、あしたは誕生会、子どもの友達だっていっぱい呼んでるんだよ。第一、何言ってやがる、わたしが子宮頸癌の手術した時、一人で車運転して行ったんだよ、アンタも医者行きたきゃ自分で行け。わたしはこれから子どもと買い物に行くから。」
と言い返した。
が、彼にはもう反抗する力などなく、うずくまってしまった。長年、嘘をつかれ続けてきたわたしは、もう何を言われても「嘘をついている」と、構える習慣ができていたので、彼の言葉を全く信じなかった。
それでも、あまりにも力尽きた様子で座ったまま動かないので、仕方なく子どもも連れてみんなで病院へ向かった。
いつもお世話になっている救急外来は人がいっぱいで、一時間以上待ってようやく順番がきた。
名前を呼ばれ診察室に入り、まずは看護士の問診を受けた。いくつか質問され、心音を聞いたり簡単なチェックをすると、すぐさま車椅子が用意された。そして、子どもは誰かに預かってもらうようにと言われた。
ルームメイトが車椅子で別室へ連れていかれる後ろ姿を見て、これは長丁場になると思った。
ママ友に電話して状況を説明、子どもを一晩預かってもらうことにした。わたしは子どもを連れて一旦帰宅。子どものお泊まりの準備をして、ママ友宅へ子どもを預けた。とりあえず子どもの寝床の確保ができてほっとした。
その足で閉店間際の大型スーパーへ駆け込み、誕生会に必要なものをダッシュで買い物カートへ入れた。閉店のアナウンスが繰り返される中、買い物を終え、スーパーと同じ敷地内にあるセルフのガソリンスタンドで給油した。
楽しいはずの週末、夜十時。ダウンコートを着るでもなく、ぺらぺらのトレーナーのまま遠い目で給油する一人のわたし。目を落とし給油口を眺めながら、色んな想いで頭が熱くなる。
家に戻り、買ったものを冷蔵庫に入れ、念のためにと入院の準備もした。急いで病院へ戻ると、なんと、ナント、あいつは治療台の上でパリッとしたシーツに包まれ、すやすやと眠っているではないか。まじか。
看護士に聞くと、血液をサラサラにする薬を投与したので様子を見ているとのこと。
「あのー、わたし帰ってもいいでしょうか。」
お願いしてみたがそれはダメだと強く言われた。数時間後の再検査の結果によっては専門の病院へ救急車で運ばれるから、というのだ。それなら尚のこと帰宅して一時間でも仮眠したいんですけど。
わたしは、すやすやしているルームメイトの診察ブースの辺りを行ったり来たり、待合室のベンチに座ったりして時間を潰すしかなかった。
途中、高校生くらいの少年がルームメイトの隣のブースに搬送されてきた。泥酔しているのかドラックでおかしくなっているのか、意識はもうろうとしていて、急に起き上がったりバタンと仰向けに寝たりを繰り返し、中年の女性看護士をカワイイと行って口説いていた。ほんとうに幻覚とは恐ろしいものである。
その後、その少年の友達と思われるパンクな若者が二人、保護者であろう大人が一人やって来て医者から説明を聞いていた。夜の病院というものは本当に大変だなあ。わたしにとっては、いい時間潰しになった。
時計をみると夜中も二時を回り、そろそろ再検査の結果が出る時間だった。しかしながらいっこうに呼ばれる気配はなく、何度もナースルームへ行き催促した。
最終的に検査結果を受け取ったのは、朝方四時過ぎだった。とりあえずルームメイトは家に帰ることができたが、また日を改めて経過を診ることになった。
誕生会当日の朝。ほとんど眠れていないわたしと熟睡したルームメイト。
「いやー久々に熟睡したよ。」
意気揚々と笑顔のルームメイト。夫婦なら「心から安心した」と思うのが普通だろう。でもそんな気持ちなど沸くこともなく、誕生会の準備に気が遠くなるだけだった。
診断結果は不整脈。「これで酒やドラックやめられなかったら死ぬしかないね」この一言に尽きる。今までの行いが悪かったんだよ。これでも分からぬか、という神さまからのお告げに違いない。
ママ友には本当に心から感謝し、無事、誕生会は終わった。ほんと、遠い親戚より近くの他人。
来てくれた沢山のお友達と父兄を見送りに外へ出たら雪が積もっていた。とても長い週末は終わった。