gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

耐える

この後の二年間は「耐える」この言葉に尽きる。わたしはルームメイトに依存症を治すために入院を勧めたが、一向に受け入れなかった。


「僕は父親のように入院しなくても自分で治せる。」


と言いはる。父親以下にはなりたくないという気持ちからか、一人で入院治療と戦うのが怖いのか。



彼は週二回の定期的な尿検査とカウンセリングに通い続けた。



一年が過ぎて、悪化する可能性は極めて低く、努力がみられると判断され、患者中級クラスという位置付けになった。そしてカウンセラーの勧めで毎週水曜日に行われる集会に参加するようになった。


この集会は、彼と同じような患者たちが集うもので、自身の過去の体験や気持ちの変化、普段の生活について好きなことを報告するというものだった。また、自身の家族について話すこともあり、助けてくれる家族、去って行く家族への想いなどさまざまなである。


人前で話して認知されると抑制作用が働き、それを聞く患者たちにも同じように抑制作用を期待する集団治療。互いに励ましあっていた仲間が裏切ることもある。


話をするのはもっぱら通院歴の長いベテラン患者が多い。依存症は一生向き合っていかなければならない病気で、もう個人カウンセリングが不要な人でも、毎週のようにこの集会にくるベテランと呼ばれる長年アルコールや薬物を絶って生活し続けている人たちもいる。


普段は誰よりも話好きなルームメイトは、毎週この会に出席して、じっとベテランの話を聴き続けていたという。この集会には年齢性別それぞれ異なる患者たちが集まる。


アルコールやドラックが原因で妻が子供を連れて出て行かれた人、二十代前半の若い女性、ドラックを買うために職場の金を盗んだ銀行員など、ルームメイトの口から出てくる言葉を聞くのは気持ちの良いものではなかった。


毎週、彼からその日の集まりの様子について話を聞かされていたのだが、二週間前から来なくなった〇〇君はまたアルコールを飲むようになったとか、あの銀行員はクビになるらしい、などポジティブな報告は何もなかった。


治療を途中で投げ出し連絡が途絶える人、絶ちたいのに欲望に負けて、ふりだしに戻る人が多いのが現実だった。そして、自分たちが住む地域に、こんなにたくさんの患者がいるのかと思うと本当にびっくりする。


この集会に参加する患者というのは、通院治療を継続できた人たちだけ。診療所に来たことのない依存症の人、治療を試みたが挫折した人などを踏まえて考えると、世の中には、どれほどの人やその家族が苦しい生活をしているのだろうか。



ある時、仲良くしているママ友にルームメイトの依存症について打ち明けてみた。このママ友とは、家族ぐるみの付き合いをし始めたところで、わたしがこの国に来て、初めて心を打ち明けることが少しだけできた相手だったから。


わたしの話を聞いてそのママ友は驚くこともなく、何となく知っていたような風だった。そして、何人かの依存症の知り合いの過去や現在を、教えてくれたのだった。


かなりあっけらかんと淡々と話すママ友を何だか大きく感じた。

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