gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

辛い日々

日中は昼食時間を忘れるほど多忙な毎日だったので、嫌なことは考えずに済んだ。夜、ルームメイトがなかなか帰ってこなくて嫌な予感がした時は、警察に電話して、


「夜中にDV受けるかもしれませんので、予めこの電話番号を控えておいてください。住所も連絡しておきます。DV受けたらまた電話します。」


と、この後起こり得るかも知れない事件に怯えたこともあった。深夜、電話をかけた時に対応してくれた女性警官は本当に命の心配をしてくれた。実際に命を失う人もいるから。それに比べてあのぷよっぷよっ警官、まじ使えねぇ。


子どもは隣の部屋で寝ている。わたしは一人寝室で携帯電話を握りベットに横になったまま、酔いつぶれたルームメートは何時に帰宅するのかと考えたりしてなかなか眠れず、怖くなった時は玄関のドアを内側から閉めて、外から開けられないようにした。


もうこのまま家に戻ることなく不慮の事故で死んでくれればいいと、心から願っていた。


真夜中を過ぎて、玄関の鍵を開けようとする音が響く。わたしは布団に潜った。しばらくすると、わたしの携帯電話が鳴るのだった。ルームメイトからの電話に、わたしは出なかった。すると次は自宅の電話が鳴る。それでも電話に出ずにいた。玄関のチャイムのベルは以前に取り払っておいた。何回も鳴らされたら近所迷惑だからだ。


家の中に入れないルームメイトは諦めてエレベーターに乗り去っていく。寝床を確保するために地下駐車場の車内、ある時は同じ地下の汚くて小さな倉庫で寝ていたようだ。


こういう日の翌朝は大変だった。わたしが起きる時間を見計らい朝方エレベーターで上がって来るルームメイトが家に入れるように、朝起きるとわたしは玄関ドアの内側に挿してある鍵をはずして、外から開くようにしておいた。それは、わたしが子どもを託児所へ送り届けられないからだ。家の中へ入ってくるなり、時には怒鳴り散らし、時には黙って寝室へむかう。


そして、入れ替わるように家を出て、わたしは幼い子どもに申し訳ない気持ちで出勤するというふうだった。朝の六時半、辛い朝の始まりは一日を台無しにするのだ。


わたしの髪の毛がごっそり抜けはじめたのはこの頃だった。

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