gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

依存症カウンセリング C診療所

リストラが少なからずとも良い方向に作用したのか、友人達の行動が効いたのか、当初ルームメイトは行きたがらずかなり手こずったがが、それでもようやく真の精神科医カウンセラーがいると思われる施設、C診療所に通うようになった。


ここはアルコールやドラックを断つ決意をした人が通う専門施設だ。


ここは月に一度のカウンセリング、そして週に2回、尿検査に行くのが義務付けられ、暫くして状況を見て、依存症患者たちのグループディスカッションへの参加を促している。


また、時間が経っても禁酒できなければアンタブスを服用する。最終的に通院による完治が難しい場合は医師の判断で治療入院となる。そして、わたしも別途カウンセリングして生活態度を報告しなければならない。


今まで通っていたのとは全く異なる依存症患者の施設。そこにはドラックを辞められない人、アルコールを辞められない人、それによって仕事や家族を失った人、たくさんの患者が出入りしていた。


初めてこの施設を訪れるとひっきりなしに尿検査にやってくる患者たちを目にした。そして、そこにいる自分を情けなく思った。待合室で待つルームメイトとわたしは、施設にある椅子や窓を眺め、行き交う精神科医や患者とその家族など目に入ってくるものをただ見て、お互いに交わす言葉は無かった。


ここのカウンセラーはルームメイトの口から出る嘘を簡単に見破り、冷静かつ適切な短い言葉で淡々とカウンセリングは進んだ。余談である無駄話は一切なく毎回の短いカウンセリングは彼には効果的だった。


時々わたし一人でカウンセラーに呼び出されたこともあり、普段の生活を報告してルームメイトの報告に間違いが無いかを確認したりした。ある時、わたしは依存症患者の家族へのケアは無いのかと質問したことがあったが、この施設はあくまでも依存患者向け、被害者家族へのケアは行っていないと聞いて、ショックを受けたことがあった。


疲れきったわたしの心は自分で何とかするしかないのか。


日本語サイトを見ると、日本では患者より患者の家族のケアをまずは重要視するという病院もあった。そうだろう、まずカウンセリングが必要なのは患者の家族である。



この頃のルームメイトは、父親と同じような境遇に立ったことは、認めたくない事実のように映った。彼から幼少の思い出を詳しく聞いたことはなく、ちらっと聞いてきた今までの話をつなげると、恐らく小学校から中学校時代にかけてこの父親はアルコール依存に陥り、時には妻にDVをしたこともあったようだ。


ルームメイトはそういう悲しい過去を封印しているように見えて仕方ない。その証拠に幼少時代を全く覚えていないという。人間の脳は嫌なことを忘れるようにできているようだ。


施設に通い始めて数ヶ月が過ぎても、すぐによくなることは無かった。週二回の尿検査を忘れず続けるまでには半年以上かかった。大体、五十パーセントの確率で陽性の結果が出ていた。わたしは隔週で施設に電話して尿検査の結果を確認していた。電話するのはいつも職場の休憩時間だった。検査結果を聞くわたしは、電話を掛けるという五秒で済む単純な作業に携帯を眺めながら五分はためらい、電話を切った後暗い気持ちで仕事に戻るのだった。


尿検査に行かなかった日は確実に陽性、検査に行かなかった理由を聞いても言い訳したり怒り狂ってキレる。連休やどうしても検査にいけない時には薬局に行き、ドラック検査キットを自分達で買い自宅で検査した。また、これも毎回のように一悶着あって、大の大人は検査キットを前にしてわめいたり罵声を吐いたりした。子どもが寝静まった後、閉め切った小さなシャワールームでこうして四十手前の二人は罵り合うのだった。



アルコールはどうしてもやめられないためにアンタブスを服用することになった。これを服用している人がアルコールを摂取すると、顔や体が赤くなり動けなくなるそうだ。少量のアルコール摂取で泥酔したような症状になるという。間接的な知り合いがこの薬の服用中にビールを我慢できず、グラス一杯半飲んだところで急激に容態がおかしくなって病院へ担ぎ込まれた、という話を聞いて、ルームメイトはアンタブスの服用以降は忠実に約束を守り、有難いことに緊急で病院へいかなければならないということは無かった。彼にもプライドがあったのだろう。


今までいくら押しても動かなかった古びた巨大な車輪に油をさしたら、ほんの僅かに動いたような感触を持った。わたしは一年ぶりに近所の美容院へいき、脱毛症でみすぼらしくなった頭皮を隠すために前髪をあつく切り、目立たないようにした。


少しだけ心が明るくなった。

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