依存症カウンセリング B診療所
A診療所からの連絡を受けてB診療所へ通うようになった。
また信用できないカウンセラーに当たるであろうことも何となく目に見えている。それでも、自分たちが住む小さな町の診療所なら、町の誰かがいつも見ているから情報を貰いやすいと思ったのだ。この診療所の受付担当は顔見知りだったので、ちゃんとカウンセイングに来ているかどうかを教えてくれる。
ルームメイトの普段の行動も見逃さないようにするために、行くであろう飲み屋には時々顔を出して出入りの頻度を確かめた。小さな町の飲み屋で行く所は知れているし、トイレでドラックしてる飲み屋はどこかは既にだいたい把握していた。怪しいと思ったときには飲み屋を訪ね、ルームメイトの情報収拾をした。
この頃のわたしは、発狂しそうな感情をおさえて日々生活をしていた。
ルームメイトは私たちが住む町の診療所でのカウンセリングに抵抗はなく、でもカウンセリングに行ったり行かなかったりだった。時々、わたしはカウンセラーに電話をして状況を把握していた。カウンセラーが、
「お酒も一週間飲んで無いって言ってましたし、少しずつ良くなってますよ。」
という。えっ、遊びで仕事してるのか、このカウンセラー。
「カウンセラーさん、あの人毎晩酒飲んでますよ、この前なんか冷蔵庫にしまっておいた料理用の安いパックの白ワインなんですけどね、夕食作ってる時使おうと思って鍋に入れたら超透明で、あれ、まさかの変色っと思って舐めてみたら、どう考えても水だったんですけど。わかりますよね、あの人が料理用ワイン飲んで、空になっちゃったんで水入れて冷蔵庫に戻したんですよ。もう、いかれてますよ。もっと真面目な診療所紹介してください。」
と、もう笑うしかないわたしに、
「えっ、そうなの。わたしには頑張って禁酒して、ドラックも回数が減ったって言ってましたけど。。。直ぐに隣町の大きな治療施設を紹介するわ。」
と焦って答えた。
そういうのあるんならもっと早く教えてくれるかなあ。わたしがルームメイトの友人に電話してからもう何ヶ月が経っただろうか。
無職になった彼は、この頃何を想いながら日々過ごしていたのだろうか。その日暮らしで、今楽しければいいと思っていたに違いない。将来なんて何も考えていなかったのだろう。
あの頃は口癖のように、
「人間は明日死んでしまうかもしれないから、その時に好きなことをやって、ある金は全部使う、貯金なんてしても意味がない。」
と言っていた。まあ一理あるが、それでも子どもが急に熱を出した時に買う薬代さえも払えないってどうなの。
わずかな退職金はドラックや酒ですぐに無くなり、わたしの知らないところで借金をしていた。朝からコーヒーにウイスキーを入れて飲み、昼にビール、夕方もビール、夜はワイン、締めにウイスキーという生活。わたしは何度も怒鳴り散らし、それに対して支離滅裂な言い訳を繰り返す彼に限界を感じた。
ある夜、寝静まったルームメイトを待って、キッチンへ行った。そして棚の中にバレンタインのボトルを見つけた。もうこの頃になると隠す場所はいつも同じだった。毎回隠し場所を変えると隠した場所を自分で思い出せないと自分で言っていたのを思い出す。ルームメイトは自分自身が制御不能なのを少し感じとっているようにも見えた。
すべてが壊れて終われと言わんばかりに、わたしは茶色いボトルををフローリングの床に思い切り叩き付けた。バレンタインは割れてガラスの破片は飛び散り、スコッチウイスキーの強い匂いが充満した。そうなるとわかって床に叩きつけたのだが、目の前の光景は夢だと思い暫くわたしは固まったままその場で床を眺めていた。
もう涙も出ない。我に返りリビングの窓を開けて換気をする。モップを取りに奥の物置きへ行くと、酔い潰れたルームメイトの太いいびきが聞こえた。モップの柄で叩き起こしたくなる怒りを抑え、リビングを片付けるバカなわたし。液体とガラスの破片を大体片付けおわって時計を見ると、もう三時半だった。子供の足に破片が刺さってはいけないと、更に掃除機をかけ、まだ湿っている床に顔を当て破片がないことを何度も確認した。
フローリングの床が一ヶ所、小さく陥没していた。