gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

親友の助け

わたしの疲労は限界を超えていた。ルームメイトの親兄弟、親戚はどうしようもなく使えない。わたしには頼れる友達もいない。ルームメイトはわたしのいうことなど耳を傾けないので、彼を変えることは難しかった。そしてたどり着いたのは、彼の友人に助けを求めることだった。


ルームメイトの友達のなかで最も育ちがよく人間としてまともな人物に、電話することに決めた。それは多分、わたしを助けてもらうのではなく、ルームメイトを助けてもらうためだったと思う。見方を変えれば彼も被害者。彼の両親、身内、誰一人としてわたしが言う真実を受け入れず、営業で鍛えたルームメイトの話術にかかり、誰も私たち家族の実態を信じない。


実は彼の父親もアルコール依存症で、三ヶ月入院治療をしたことがあるという。この事実をわたしはこのころ初めて知った。この父親は入院治療でアルコールを断ち克服したのだそう。


なぜ、息子が同じ病気なのに助けられないかなあ。だって家族親戚みんな知ってるでしょ、その事実を。アルコール依存症というのは、五十パーセントの確率で遺伝するというデータをネットで見たことがある。ということは、わたしの子どもにもリスクがあるということなのだ。


このまともな友人に電話すると、どうやってルームメイトを治療施設に行かせるようにすればいいかを直ぐに考えてくれ、わたしには離婚を勧め、わたしのどうしようもなくやり場のない気持ちを汲み取ってくれた。その日のうちに、この友人はルームメイトの真の親友だという人物、ある些細なことで数年前からルームメイトと連絡が途絶えてしまった、ルームメイトの一番の友に連絡してくれた。その親友も直ぐにルームメイトの実家に電話して、聞いた全ての事実と彼らの学生時代の話を母親にした。


他から聞くところによれば、この仲間たちは若い頃、学校ではいわゆる不良だったようだ。悪いことは全てやり、先生達に目をつけられていた奴ら。でも、ルームメイト以外は皆、生活を改め立派に事業主になっていったのだ。


やっと目が冷めたルームメイトの両親。今になってやっと。


わたしがあの日、そう、子どもが丸まった5ユーロ紙幣の近くに接近した日は、あの後ルームメイトの父親が子どもを迎えに来た日だった。なにしろ、一日、孫と一緒に過ごしたいとやらで車で遥々やって来た。迎えにきたこの父親は、アパートの下に路駐して、わたしが子どもを連れて降りてくるのを待っていた。ルームメイトは仕事で不在だった。


迎えにきたことが分かったのでエレベーターで降り、玄関の外へ出た。既にこのころのわたしは、ルームメイトの家族親戚一同と一切の縁を切っていたので、久しぶりにこの父親に会った。


まずは子どもを車に乗せた。


「持って帰って貰いたいものがあるのでちょっと待ってください。」


とわたしは言い、かすかに残った白い粉のついた洋楽のCDと丸まった5ユーロを取りに戻って、玄関の外に出て手に持っているものを父親の目線まで持ち上げ、啖呵をきった。


「これ見ろよ。何かわかるよね、毎晩のように吸ってるんだよ、あんたの息子。これを子どもが触るところだったんだよ。今晩、あんたの息子がうちの子どもを迎えに行ったらしっかり話しろよ、このせいでうちら家族三人めちゃめちゃなんだよ、あんたたち何度言っても助けてくれないし。早く、あいつを病院連れてけ、あほんだら。」


というようなことを、荒々しく叫び散らし、洋楽のCDを父親の胸元へ押し付けた。



その晩、父親は息子に問いただしたものの、息子は「たまたまやっただけだよ。」と、たいした問題ではないと流した。結局この両親はあの後何も行動を起こさなかったのである。そして、その数ヶ月後に息子の親友が電話してきてようやく認めるって、やっぱりわたしの言葉は信用されていなかったのか。それとも、連絡の途絶えていた親友が、自分の親に話したことでルームメイトも勘忍したのだろうか。


一家のあるじ、ルームメイトが不景気なご時世の中リストラされたのは、ちょうどこの頃だった。

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