出産の水曜日のこと
予定日になっても陣痛の痛みをほとんど感じなかったので家にいたのだが、彼に連れられるままに産婦人科へ行った。診てもらうも子宮口があまり開いておらず、毎日一時間くらい歩いたり階段を上り下りするように言われた。
いっこうに陣痛がないので、その数日後も心配になって産婦人科へ。子宮口はだいぶ開いてきたというが、生まれる気配なし。
わたしは出産予定日から毎朝、妊婦には面倒なスニーカーを履いて、近所の小高いところにある草原を、一人、臨月の大きなお腹で一時間以上歩き続けた。
学生時代に買ったマリンブルーに黄色い二本線が入ったスニーカー、十年以上お蔵入りだったけれどお気に入りのこの靴は、人生の旅のお供にいつもそばにいて、この国に来た時にも連れてきた。
大きな砂利と粉のように白い砂のどこまでも続くあぜ道は、草原から何キロ先も見渡せる。周りの静けさゆえに自分の踏む足音を少し怖く感じる。
わたしは生まれてくる子どもをお腹の中で抱きかかえ、遠い景色を見ながら学生時代やこの国に来ることになった経緯を振り返りながら歩き続けた。
午後は、アパートの階段をせっせと地下階から四階まで何往復もしていた。これが唯一の日課だった。なんと平和な生活だったのだろう。
出産予定日を過ぎてその後二回も産婦人科へ行き、それでも生まれないのに痺れを切らせた彼は、
「明日また病院へ行こう。」
と言う。
わたしの方は、生まれなきゃ困るけど、生まれたら大変になるからこのままお腹の中にいて欲しいなあと思っていた。
産婦人科へ行く日の朝、
「今日は生まれない限り家には戻らないから。二時間歩いてから病院へいこう。」
と彼がいう。めんどくさ。
二時間、草原をひたすら歩く臨月のアジア人と、ラテン人。
産婦人科に到着したのはちょうどお昼で、陣痛はないものの出産できる程度に子宮口は開いていると言う。
わたしは陣痛の周期を調べるためのベルトを腹部に装着させられベットに横になる。
助産婦さんたちが、
「今陣痛が来ていますね、痛くないですか。」
と言う。
痛みを感じないわたし。なぜ。
モニターを見ながら説明されるが、陣痛という痛みらしきものは一切感じられなかった。
そして、夕方になり、背中に無痛分娩用にと、管を貼り付けられ、麻酔医の女性に
「わたしね、日本の人達のことよく知っていますが、さすが、痛みにも取り乱すことなく冷静ですね。ここの国の人はみんな大げさに騒ぐんですよ。」
と、わたしを褒め称えながら処置してくれた。わたしは苦笑いした。
破水する様子もなく、助産婦さんが指で羊膜を破るがこれもかなり時間が掛かった。
やがてわたしは分娩室へ運ばれ、出産の準備に取り掛かる。
そこへ彼がやって来た。
かっぽう着のようなガウンにシャワーキャップを被った彼は、片手に大きな黒いものを持っていた。よく見ると、ホームビデオカメラだった。
えー、こんなでかいビデオカメラ、いつのかな。
一般家庭用ビデオカメラの初代モデルに近い。
「どっから持ってきたこれ?」
股を広げたまま、わたしは彼に聞いた。
「親父のだよ、今、妹が実家から届けてくれたんだよ、出産の記録を撮ろうと思ってさ。」
と言う。
「ねえ、つかないんだけど、どうやって電源入れるの。」
と、子を生み落とそうとしているわたしに素朴に質問してくる。
「何年も使ってないんでしょ、充電されてないんじゃないの。」
言葉を投げるわたしの横で、大きなビデオカメラのあちこちをいじっている。先が思いやられる。
そんなでかいビデオカメラ、久しぶりに見たよ。
子どもが生まれた後に着せる服なども準備万端、わたしは先生の言われるままに力んだりするも、なかなかどうして出てきてくれないのだ。
隣の分娩室がやけに騒がしいのが聞こえた。自然分娩から帝王切開に変更になったようだ。わたしのいる分娩室にいた数人の先生たちが一気に居なくなり、となりの妊婦さんへの対応に回った。
急に焦るも、一休みするわたし。
彼が丸く小さな覗き窓からとなりの様子を見ている。出産は楽じゃない。
わたしの下に戻ってきた昼過ぎからそばにいてくれた助産婦さんが、やけに時計を気にしていた。もしかしてこのまま生まれなかったらわたしも帝王切開かな、と助産婦さんの時計を見る目線が、とても気になった。
すると、彼女の口から、
「最後まで見届けたいけど、わたし、勤務時間終わるからもう帰らなきゃ。」
ええええ、嘘でしょ。
「安心して。代わりの先生が来るから、じゃあ頑張ってね。」
と、ドアの外へ消えていったのであった。代わりに来た先生は、物腰の柔らかそうな男性だった。その先生に言われるがままに力んで、産まれるちょっと前に産道を広げるために少しメスを入れた。
そして、十九時半頃、無事に子どもは生まれたのだった。
朝以降何も食べていなかったのでお腹に力を入れるのが大変だったが、陣痛や出産の痛さを感じることなく、終わった。
だがその翌日から、わたしは猛烈な痛みに襲われることになるのだった。