自由
気付けばルームメイトの暮らしぶりがすこぶる健康的になっていた。
昔があまりにも酷かったのでそう思うのだろうか。
二人の給料を合わせれば、我が家の収入はこの国の平均水準を上回り、余裕ある生活になっているではないか。
何という奇跡。
数年前に引っ越した時、万が一、何があってもいいようにわたし一人の稼ぎでもギリギリやりくり出来る賃貸物件で住まいを探したこともあり、家計の固定費がとても低いので経済的に助かっている。
お金に余裕ができたルームメイト、でも蓄えた経験が全くない。だから、どんどん溜まっていく本人名義の個人通帳に数十万円の口座残高があるだけで、かなりビビってしまうのだ。
使ってしまう、と自分自身を信頼できず、口座残高引き出し現金に変えて実家の金庫にしまったそうだ。
数十万でオタオタするって、なんだか本当に情けない。
人生始まって以来の残高の数字に慌てる男。
人間のお金に対する感覚とは本当に怖いもので、だんだんと数十万の口座残高に慣れてくる。
すると今度は、少し貯まれば、腕時計を買ったり、一人用ソファーを買ってみたりと、物欲が次々と湧いてくる。買いたいものは買いたいのだった。
わたしはその度に止めるのだが、そんなことはお構いなしだった。
散財して一年が過ぎた。
散財したところで幸せを得ることには限界があるのを悟ったのか、少し貯金をするようになった。経済的に余裕が出てきて、心にも余裕ができ始めたのだろうか、何かしらの将来への蓄えを始めたのであった。
貯金を始めたり、保険に加入した。
昔は、
「人間はいつ死ぬかわからないから貯金なんて意味がない、生きているうちに使わないと。」
と何度も聞いたあの言葉、わたしは今でもよく覚えているが、ルームメイトはすっかり忘れているに違いあるまい。
そんな矢先、わたしの方にニュースが。
解雇通達を受けた。
わたしはポジティブに受け止めて、直ぐにその場で書類に署名した。
ある金曜日の午後、帰宅時間の一時間前に呼び出され、そして、わたしは晴れて自由の身になったのである。
周りのみんなはわたしのことを気の毒に思っている。
でも、当の本人は最高に幸せを感じるべき時が来たと思ったのだ。
一、二年前から解雇になればいいな、とぼんやり思っていた。
それが現実になった。
書類に署名した後は、今後の失業保険の手続きのことなどを聞いたりして、身の回りの片付けをしてさっさと帰宅した。
この日家路に着いた時の感覚は、明らかにいつもとは異なり、嬉しいでもなく悲しいでもなく、解き放たれた開放感の無に近かったのを覚えている。
来週から会社へ出勤しなくていい、朝早く起きて来ていく洋服を選ぶ必要も無くなった。
いつもなら金曜日に帰宅すると、やっと今週も一週間を乗り越えた、でも休めるのは二日間だけ、三日目にはいつものように一週間が始まるのだ、と半永久的に続くかもしれない無機質な週四十時間の勤務生活に、週末さえも縛られていたような気がする。
わたしは自由になった。
そして、ルームメイトには
「少なくとも数年間は働かずに心と体の休養を取りたいから、経済的なことは頼む。」
と伝えた。
わたしはこの国に来てずっと走り続けていた。
夕方六時の託児所へのお迎えをすっかり忘れ、仕事に没頭していると、託児所からの連絡で我に返ることが何度かあった。
時速百二十キロ以上、高速道路でアクセルを踏み、ギアチェンジのタイミングで自分も息を吸い直す。
ハンドルを握りながらも、車の中で自分自身が猛ダッシュしているような感覚は、今でも忘れない。
朝の出勤も帰宅も、車に乗っているは常に時間と戦っていた。
スーパーでの買い物も値段や質を吟味しながら品物を手にとっていた記憶はあまりなく、目に入ったものをいつも買い込んでいた。
朝の身支度、クローゼットには一本もズボンがない。
アイロン台に置いてあるアイロンがけが間に合わずシワが寄ったズボンをじっと見つめ、自分で大丈夫、と言い聞かせ、歩きながらシワシワのズボンを履き下駄箱へ向かう。
思い出せばきりがない。
わたしは頑張った。