gigiのブログ

国際結婚の末の家族生活の日々

町の相談所へ再び

再び相談所へ行く日がきた。子どもは託児所、会社は半休をとり一人でいった。相談所のドアを開けると、今日もサンダルの担当者、のほかにわたしより年上でこれといって特徴のない女性が待っていた。そして直ぐに面談は始まった。


結果として、DVも受けることがあったわたしはルームメイトから離れて暮らすという提案をもらった。子どもと二人で町を離れ、用意してくれるアパートにしばらく暮らすというものだった。絶対に居場所は明かされることは無いという。


頼る人も相談できる人もいなかったわたしは、それが本当に良い選択なのか一人で分別できず、精神的にも追いやられていて決められずにいた。毎朝六時半前には家を出て、夕方六時に託児所に子どもを迎えに行く生活をしていたので、二人だけの生活となると仕事を辞めるか短時間労働を申請することになりそうだ。でもそれでは到底お金が足りない。身の安全は確保できるとしても、外国で幼い子どもと二人きり、本当にそれでやっていけるのだろうかと不安になった。


担当者はもう一つ提案してきた。隣町にあるDV被害者のための個人カウンセリングだった。カウンセリングに行くのであれば、仕事を休んで定期的に行くことになる。


この日は話だけ聞いて一旦帰宅し、日を改めてまた会いに行った。



二度目の面会。担当者の女性は笑顔で迎えてくれた。そして、今日は長ズボンだったサンダル男。話し合いが始まった。彼らは今の生活から離れて暮らすのを強く提案してきた。誰でもそう提案するのが当たり前だと思う。命の危険がないとは言えないし。


さらに担当者は、


「あなたの両親に助けてもらうことはできないの。」


と尋ねてきた。


それはできない。わたしの両親はこの事実を一切知らないし言えるはずがない。こんな事実を知らされたら遠い国に住む両親に心配をかけるだけ。


子どもを連れて祖国に帰り親子二人でやり直そうかとも思ったが、そうしたところでハーグ条約に引っかかり逮捕されればわたしの負けだ。離婚裁判をしたとしても、ルームメイトの決定的証拠となる物理的なものはまだ収集していない。証拠がなければ、ましてや外国人の言うことなんて誰も信じないし、彼の家族は寄ってたかって全てをわたしのせいにする。親というのはどんなばか息子でも可愛いし、嫁の言葉より息子のことを信じるものである。


結局、わたしは町の相談所の人たちに頼りきれなかった。「考えます。」とだけ行って席をたった。


帰り際にサンダルの担当者が、


「君、日本人なの。日本って行ってみたい国なんだよね、どんな国なの。」


と、民度の低い人達からよくされる質問も後押しして、相談所を出る時には、この人達を心から頼れそうにないと確信した自分がいた。そして、これ以上相談所へは行かなかった。


それでも、隣町の個人カウンセリングには行ってみることに決めた。

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